【KOICHI YAIRI × 穏田神社 × 御朱印ガール】特別御朱印企画へのそれぞれの思い

“今までもこれからもこの地で繋がってきた人々を結び続けたい”:原宿キャットストリートに400年以上鎮座する穏田神社が、社会的なメッセージをポップなアートワークにのせて表現する東京を代表するアーティストKOICHI YAIRI氏と、御朱印メディアを運用する御朱印ガールの企画でコラボレーション。本企画にあたり、それぞれの思いを聞いた。
今回のプロジェクトは御朱印ガールの企画・提案と聞いているんですが、そもそも御朱印集めを始めたきっかけから教えてください。
御朱印ガール│ももさん(以下、G):そもそも私たちの祖父母や両親の世代の方々が知っている御朱印って、墨書きの神社名に赤い判子が押されたものだと思うんですけど、コロナのパンデミックあたりから書き置きの可愛い御朱印が登場するようになって、その時に自分も「こんな可愛い御朱印があるんだ!集めたい!」と思って御朱印巡りを開始。アカウントも開設し、御朱印を紹介するようになりました。
どうして今回のプロジェクトを企画しようと思ったんですか?
G:実は、今のアカウントを辞めてしまおうかなと思ったタイミングがあって。というのも春になったら桜のデザイン、秋になったら紅葉や銀杏のデザインが毎年出るので、御朱印集めを2年、3年と続けていくうちに私自身が飽きてしまったんです。その時にもっとその神社や周辺の歴史や成り立ちを手軽に知れたらいいなと思って、可愛い御朱印の情報にプラスして発信したら反響があったので、その時からこの企画をやりたいと思っていました。
穏田神社はどのような神社なんですか?
宮司 船田(以下、F):この付近は今となっては東京を代表する街ですが、江戸時代は水が豊かで田畑が広がり、渋谷川が流れていたこの地域には多くの水車があったそうです。「隠田(当時の漢字表記)」というのもこの一帯の地名で、この土地の歴史や風土を表している*1のだと思います。でも実は当時は現在の社名ではなく「第六天社」と称されていて、明治維新の際にこの土地の名前を取って現在の社名になったそうです。
当時はすごくのどかな田舎町って感じだったんですね。
F:そうですね。今のような最先端で常にカルチャーが生み出される原宿の街になり始めたのは戦後日本がGHQの占領下にあった時代からなんです。代々木公園に米軍やその家族向けの集合住宅『ワシントンハイツ』があり、神宮前周辺にアメリカ人向けのお店が並びはじめ、64年の東京オリンピックの際には選手村に。その約10年後に「『ラフォーレ原宿』」ができて、そこからファッションや文化が発展していくようになりました。80年代には竹下通りや竹の子族、歩行者天国のバンドブームが話題を集め、段々と若者が夢を抱き訪れる街になっていったんですよね。長い歴史で見ると本当に最近の話です。
穏田神社はずっとこの場所にあり続けているということですよね。
F:そうですね。船田家が神社を継ぐようになったのは祖父の時代からなので、戦前からですが、祖父、父と受け継ぎ私で3代目になります。氏子の皆様からの篤いご厚意あってですが、空襲でひどい状態になった穏田神社を復興してくれた祖父、そして神社の全面改築や宮神輿の修復、鳥居の改築など怒涛の平成の時代を駆け抜けてくれた父にはとても感謝しています。父が6年前に他界した時も穏田神社を通してこの街を作っていこうと一生懸命であった話を当社の総代や氏子の皆様、渋谷区の神職の皆様から直接聞いたり、私自身も父が他界してから初めて知ることも多かったので、その意思は継いでいかないといけないなと思い、今この時代に未来のために自分は何ができるか、どうゆう形で穏田神社とこの街が繁栄・発展できるのかというのを常に考えて活動しています。
原宿という街は船田さんから見てどんな街ですか?
F:実は私はもともとファッション業界で働いていたのですが、原宿って「私はこういうスタイルでいきます!」とか「これっておもしろいと思う」みたいな個としてのセンスをしっかり持った人たちが集まってきて、お店を開いたり、カリスマ的存在になりやすいなと思っています。当社の総代からもよく聞くことは、この街は手作りの街で、外からいろんなものが入ってくること自体がこの街らしい文化。そこに街の人たちと「原宿の街を盛り上げよう」という思いさえあれば世代も関係ない、そういう街のあり方は忘れてはいけない、と。街の中で横のつながりができてきて、「おもしろい」と思ったものがフラットに評価されて一気に全国いや世界中に広がっていくし、ちょっとした球を打てばホームランになりやすい不思議な力がある街だなと思っています。なので、どんどん新しいものができるんですが、昔から住んでいる人や原宿で生活している人たちってすごく「変化」に寛容で流動的なのにあたたかい。距離的には渋谷や新宿も近いのに、その部分だけは原宿にしかないのではないかと感じています。
確かにDIYでものづくりを始めて、それがファッションだったり、アートだったりになっていく原宿ならではの文化ってありますよね。矢入さんは今回の依頼を聞いた時はどう思いましたか?
矢入さん(以下、Y):神社や御朱印という歴史あるものに関われるって言うのはすごく嬉しいなと思いましたし、すごく意義のあることだと思ったので、迷わずやらせてもらいたいとお伝えしました。今のお話の中でも原宿という街は「最先端」「おしゃれ」というキーワードは何個か出ていたと思うんですが、僕は「変化」が1番かなと思っています。変化の中には古くなっていくものと新しくなっていくものの両方があって、原宿ってその「変化」という言葉が似合う唯一無二の街だなと思っています。今回のアートワークもまさに「変化」をテーマにしていて、変化のある街の中で変わらずにずっとこの場所にあり続ける神社。今回の御朱印を通して、神社の参拝時やキャットストリートを通る時の視点が少し変わって、楽しんでもらえたらなと思っています。
矢入さんはGALLERY TARGETに所属されているので原宿に来ることも多いですよね。矢入さんにとって原宿はどんな街ですか?
Y:所属する前はお洒落だったり、ファッションも最先端だったりで憧れの街というイメージが強かったんですけど、歳を重ねていくに連れて、流行り廃りを楽しんでいる人が多いなって感じていて。自分のようなアーティストにとっても、その変化がクリエイティブをする上で結構重要だったり、面白かったりで僕にとっては「居心地の良い街」になりました。この先どんな自分であっても受け入れてくれる街ですね。
神社がアニメとコラボレーションしたり、イラストレーターさんに絵を頼むというのはよく聞くんですが、東京を代表する現代アーティストとコラボするって言うのはなかなか聞いたことがなくて。今回神社としても挑戦だったんじゃないかなと思うんですが、いかがですか?
F:2018年に父が他界して、当社の宮司に正式になったのが2020年4月。ちょうどコロナが始まって緊急事態宣言が出されたときだったんです。自分も外に出れないし、もちろん神社にも人は来ないし、この街からも人が消えて、もうどうしようってなりました。宮司になったばかりなのに何もできないし、「穏田神社ってどこにあるの?」と言われることもあり、いたたまれない気持ちになって。 どんなに良い施策をやっても神社の存在が知られていなければ自己満足で終わってしまう。それは今まで繋げてきてくれた先人たちにも、この街の人たちにも恩返しができないと思ったんです。そこで、コロナ渦でも行ける神社には直接足を運んだり、どんな施策をやっているのか勉強させてもらったり、生活の中でもカフェやレストランの接客や集客方法からヒントを得ようととにかく必死でしたね。そこで、原宿と渋谷の間にある神社で私が宮司であること、この街の人たちと一緒だからこそできる唯一無二の穏田神社の理念を考えることにしました。
確かに穏田神社の理念や思いはHPでも分かりやすく書いてありますよね。
多くの神社では神道の「言挙げせず」の精神があるので、神聖さを保つためにあえて明示していないところも多いんですよね。でも、当時は本当に街から人が消えて、今では考えられないほどお店がどんどんなくなっていってしまっている状況を見ていて、いてもたってもいられなくなってしまって…。その中で多様な働き方=生き方があって、個人の「仕事に対する思い」を発信していくことで自分の生き方に共感を持ってもらえる人がついてきてくれると気づきました。変わらない安心感や懐かしさを感じてもらうためにはその時代に合わせた形をやり続けて初めて”変わらない”って思ってもらえる。「変わらないために変わり続ける必要がある」と言うのが自分が継いだ時からの信念だったので、今回は勇気を持って一歩を踏み出した形です。
穏田神社の宮司を今後も務めていく中で意識していきたいことはありますか?
型をしっかりと知った上でそれを破るエネルギーはずっと持っていたいです。今までも新しいことを始めるときには様々な意見をいただきますし、矢面に立たされることもありました。認められるまで時間はかかりますが、必ずその時は来て、不思議と新しかったはずのものがスタンダードなっていくんですよね。なので、当社にある理念と今まで大切にしてきたものを引き続き大切にする。そこさえぶらさなければこれからも色んなことに挑戦できると思っています。時代を捉えながら地道に頑張っていれば必ず手を差し伸べてくれる人がいます。ももさんはそうしてくれた方の大切な1人です。
今回は普通の参拝者の1人でもある御朱印ガールが提案したプロジェクトだと思うんですけど、その上で意識したことはありますか?
G:この企画のご提案の段階で船田さんと何度も話し合いをしてきたことでもあるんですけど、神社や神道という神聖なものであるから、その部分をどこまで出すか。出し過ぎてもスピリチュアルな感じになりすぎてしまって、御朱印ガールのフォロワーのようなカジュアルに神社巡りを楽しんでいる方たちには敬遠されてしまうし、神的要素を無くしすぎてしまうと今度は軽くみられてしまう心配がありました。なので、そこの壁を越えて神社と参拝者の架け橋になるような企画になればいいなと思って、矢入さんにオファーをさせていただきました。
共通言語がない中で矢入さんのアートを通して、参拝者の方に寄り添いながらも神社としてのメッセージも伝える。ちょっと翻訳に近いですよね。
G:ご覧いただければ分かると思うんですけど、矢入さんの絵ってポップだしキャッチーで可愛いんですよね。一目で矢入さんとわかるアイコニックさもある。でもその中に必ずメッセージが込められている。矢入さんの絵なら、今の穏田神社の取り組みたいことだったり、船田さんの思いを伝えられると確信しています。
Y:アートワークを制作するにあたって、船田さんとももさんから、今話されていたようなそれぞれの思いを聞いていたので、そこは意識して描きました。
実際に描き始めてみて、今回の作品がすぐに思い浮かんだんですか?
Y:特徴がたくさんある神社さんなので、最初はかなり迷いましたね。でも、今回のアートワークのインスピレーションになった北斎の「隠田の水車」がとても印象に残っていて、日本のパスポートに使われるくらい日本を代表する絵と繋がりのある場所であるというところから、今回ような作品に仕上げています。
パスポート?
Y:パスポートのスタンプを押すページのデザインが富嶽三十六景なので、そこに載っているんですよ。
僕は今まで御朱印をもらったことがないんですけど、持って帰りたくなるくらい、御朱印としてもアート作品としても魅力的だと思います。
G:そうですよね! 御朱印が全体的に可愛い化してるとはいえ、やっぱり和紙に印刷されていたり、日本ぽさを残しているところが多いんですけど、今回は矢入さんの希望であえて和紙にせずに現代的な感じにしています。
Y:普通だったら和紙に印刷するのが定番だと思うんですけど、今回の場合アートワーク自体もかなり和風ですし、穏田神社の筆文字も日本らしさを感じるとても素敵な字なので、和風すぎないように洋紙を使用しました。また、御朱印も集めるもの、アーカイブしていくもので、アートとも似たところがあるなと思ったので、長く綺麗に飾れたり、保管できたり、経年変化も楽しんでもらえるよう用紙の種類や印刷方法までこだわって選びました。
G:他の神社にはない一味も二味も違う御朱印になっているので、受けられる方がどんな感想を持ってもらえるのか今からとても楽しみです!
*1 隠田の由来には諸説あります。
PROFILE
KOICHI YAIRI │ 矢入 幸一
1992年生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。自らをアーティストと名乗り、主にモノクロでオールドカートゥーンスタイルのペインティングを描く。ロンドン、韓国、日本など国内外で個展を開催。クライアントワークでは、レコードジャケット、キャラクターデザイン、アパレルなどへのアートワークの提供など、東京を拠点に活動中。
◆HP https://www.koichi-yairi.com/
◆インスタグラム https://www.instagram.com/koichi_yairi/
御朱印ガール │ 野村萌々(株式会社モモカン 代表取締役)
御朱印ガールは、もっと神社・仏閣への参拝を生活の中に取り入れてもらいたいという思いで、 御朱印の紹介を皮切りに付近のグルメや一押しスポットを紹介するインスタグラムアカウント。アカウントは2021年に開設し、神社・仏閣・企業向けに”ただ可愛いだけではない”より本質的な御朱印制作やイベントを行うため、2023年に株式会社モモカンを設立。ブランディング、企画・進行、イベント開催まで幅広く活動中。
◆インスタグラム https://www.instagram.com/goshuingirls/
穏田神社 宮司 船田睦子
穏田神社は、美容や技芸上達、縁結びにご利益があるとされている原宿・キャットストリートにある神社。時代とともにファッション・アパレル、美容関係を中心に多くの店舗や企業が立ち並び、地元の方をはじめ、原宿で働く業界人、最近では海外からの観光客も多く訪れる神社に成長。2020年より宮司として船田睦子が就任。令和元年からはじめた月替り御朱印は、若者をはじめ幅広い世代にも人気を集める。原宿と渋谷の間にある神社という特徴を生かしながら、「変わらないために変わり続けること」「人とつながり心が磨かれる神社」を目標に地域のコミュニティとしての神社を目指し、さまざまな催しや授与品制作など積極的な神社運営を行なっている。