境内案内
社殿
昭和20年の戦災により社殿は消失しその後再建されましたが、戦後50年を経て施設の老朽化が著しく、平成8年(1996)に全面的な改築を行う運びとなりました。平成10年(1998)11月末に社務所、神輿庫とともに社殿が新築され、同年12月には遷座祭、竣工奉告祭が盛大に行われました。
第一鳥居
東日本大地震により鳥居に亀裂が入ったため、平成24年(2012)に新たにステンレス製の新鳥居が竣工されました。鳥居を取り外した際に、旧鳥居の建立に関する史実が判明しました。鳥居には「延宝七年未四月二日」と刻まれており、これは徳川家綱の時代に穏田熊野神社に建立された鳥居であることがわかりました。
手水舎
手水石は明治18年(1885)に熊野神社から旧第一鳥居とともに移設されました。熊野神社は加賀・前田家から広島・松平家に嫁いだ自昌院が再建した記録があり、手水石には前田家の家紋「梅鉢」が彫られています。
狛犬
この狛犬は、もともと小松公爵(元・小松宮)邸(現在の青山学院初等部のあたり)にあったもので、戦中に空襲によって全焼したため、当社の再建のために公爵邸にあったお社を譲り受けた際に共に移築されました。詳しい出自は明らかではありませんが、首の下に「飾帯」(正装時の飾り帯)をつけているところから朝鮮半島から渡ってきた狛犬と考えられます。
宮神輿
平成16年(2004)、84年ぶりに宮神輿が修復されました。毎年9月に行われる例大祭にて、数年に一度、この宮神輿が氏子地域を渡御します。
末社 稲荷神社
御祭神 「倉稲魂命」(うかのみたまのみこと)
当社の氏子で、戦後の再建に尽力した河野カタ女史の夢枕に老神が立ち、「穏田神社と神楽殿の間の草むらの中に、昔稲荷様の祠があったが姿を消してしまった。そのため、稲荷様はお怒りになっておられる。」と示現されました。このことから昭和36年(1961)に御社が竣工されました。平成10年(1998)の神社再建に伴い、現在の場所に移築されました。現在も毎年氏子崇敬者の参列のもと初午祭が行われています。